怨霊という言葉があります。言葉があるということは、そのような存在があってその言葉が存在しているわけです。怨霊。三大怨霊というのが有名ですね。崇徳天皇、菅原道真、平将門。ここは京都市ですから、彼らが祀られている場所やその痕跡のある場所などへ歩いたり自転車でふらっと立ち寄ることができます。研究にはもってこいの場所です。
霊的に調節できる人や繋いでいけるタイプの人はそれがわかると思います。それをみたとき。ふれたとき。それと縁を持って知ったとき。
もし怨霊と対峙することになったら?どうすれば良いと思われますか?そんな経験をした時、御呪いやお祓いなんて全く通用しないどころか、火に油を注ぐ事でしょう。興味本位では決して怨霊と繋がらない事です。
では怨霊とは何のために存在し、それが禍を起こす理由は何なのか。どのようなことに影響を与え、どのような仕組みで考えで現世の人に対してどう関与してくるのか。
この世もあの世も全ての存在には存在理由があります。怨霊が要る必要って何でしょうか。怨霊は禍を起こすけれども、その底意・心底は如何なるものなのか。
別に知りたくはなくとも、知ろうともしていなくとも、知らされる人は知らされますし、思い知らされる人は思い知らされます。三大怨霊に限らずとも。
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