月別アーカイブ 2021年5月29日

鑑定方針

鑑定をしていると、やはり前世やそれ以前からご縁がある人同士が問題になっているケースというのも散見します。そんなの今世で生きていく上で皆意識はしないでしょうし、それこそ知ったとしてもあまりピンと来ない事でしょう。忙しい日常に追われてそれどころではないでしょう。ですから、単に興味本位で誰と誰が前世で・・・といったことをお調べすることはありません。あくまで、現実に症状・障害が出ていてそれを調べていくうちにわかってきたことをどうするか・・・という時に避けては通れない場合に。それを遡って調べていくことになります。

目に見える現実世界をベースに皆生きているでしょうし、私も重点比率が霊的世界の方になるたけならないように心がけています。つながりや仕組みはわかってしまうのだけれど、それをお伝えしたところで”理解し続けることが出来ないならば”言わずに他の方法を考えます。見える世界と見えない世界は連動しているということは、例えば感情や考え一つとっても(喜びや悲しみや向上心や執着が発せられた時に見えるもの)追跡するとやはり出元はわかります。

過去にも未来にもそれがそう動いている時は、その根拠がどこにつながるかな・・・と普通に考えます。

だから、怨念といったよろしくない感情が実在しているのも幾度も見てきましたし、それを否定はできませんので、正確には把握します。けれどそれをお伝えするかしないかは別問題。知って蓋を開けない方が良いことだってあるのです。

保護中: 範囲は甚大!

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

どんなことでもしてくるって想像できますか?

怨霊という存在になってくるとそれはもうものすごいです。出来ることならなんでもしてくる。この出来ることなら・・・っていうのがはっきり言って果てしなく途方もない。標的になったなら、現実世界の出来事、肉体レベルの健康などに悪影響を与えることならありとあらゆることをしてきます。基本的に相手は霊体なので、何百年レベルで思考できていることも珍しくはありません。数十年しか生きれない現世の我々が狭い範囲で思考したところでたかが知れています。こうすればあーする。あーすればこうするなんてのは当たり前に想定内。普通まともにぶつかれば手のひらで簡単に転がされます。

怨霊の思考なんてのはそれしか考えていないわけですから。考えているというのも語弊がありますが、まあそのことにのみ執着・執念以上の超集中で数多の手段でせまってくるのです。

一般的にあまり知られていないと思いますが、現実世界と霊的世界の半々で生きていると”怨霊”というのは別に有名な日本三大怨霊に限らないことも実感します。実際にはいるところにはゴロゴロといるのですよ。

ですからこれまで怨霊との接点というのも決して少ないわけではないですので、どういうことをしてきて、どういうパターンがあるかというのもおおよそ経験してきました。似ている傾向はありますので、それはそれでピンと来るものです。

ご依頼者の霊感と私の霊的作成物

ご依頼を受けて何らかの対処物を作成することがあります。霊的作成物というものです。オリジナルものでそれぞれのケースによって全く形態は異なりますが、当然霊的な影響力を持っているものになります。

これは根底にある私の考えなのですが、どんな霊障に対してでもオールマイティに作用するものはありません。原理としてありえません。例えばお腹が痛いからといっても胃酸が出過ぎているのか、胃酸が多いだけなのか、胃酸が減っているのかすらわからずに、この胃薬飲んだら良いなんて言われてもそんなのありえないでしょう?
原因や症例を経験したり把握しないと、薬すら適切なものは選べないのと同じです。

まして、人の生き方や過去世に深く根ざしている場合もある霊障などは、単なるお腹痛とは比較にならない重大な原因や理由を追求していかないと適切な方法が選べません。

そんな作成物をご依頼いただく時、やはり感度の高いご依頼者は、作成過程や発送時などお知らせをしなくとも感覚でわかります。霊障の原因側がざわつくからですね。もう私もリピート頂いているご依頼者も慣れっこですが、そういう時にやはり正解ともわかります。その霊的作成物は。作成過程や節目で既にご依頼者側は反応しているのですね。霊障だからこそそのご依頼者の持っている”感”でわかるのです。

怨霊との対峙

怨霊という言葉があります。言葉があるということは、そのような存在があってその言葉が存在しているわけです。怨霊。三大怨霊というのが有名ですね。崇徳天皇、菅原道真、平将門。ここは京都市ですから、彼らが祀られている場所やその痕跡のある場所などへ歩いたり自転車でふらっと立ち寄ることができます。研究にはもってこいの場所です。

霊的に調節できる人や繋いでいけるタイプの人はそれがわかると思います。それをみたとき。ふれたとき。それと縁を持って知ったとき。

もし怨霊と対峙することになったら?どうすれば良いと思われますか?そんな経験をした時、御呪いやお祓いなんて全く通用しないどころか、火に油を注ぐ事でしょう。興味本位では決して怨霊と繋がらない事です。

では怨霊とは何のために存在し、それが禍を起こす理由は何なのか。どのようなことに影響を与え、どのような仕組みで考えで現世の人に対してどう関与してくるのか。

この世もあの世も全ての存在には存在理由があります。怨霊が要る必要って何でしょうか。怨霊は禍を起こすけれども、その底意・心底は如何なるものなのか。

別に知りたくはなくとも、知ろうともしていなくとも、知らされる人は知らされますし、思い知らされる人は思い知らされます。三大怨霊に限らずとも。

感情が〇〇を傷つける

ある感情が何ヶ月も何年も積み重なると、普通それを発する肉体が異常を起こします。

笑いすぎたらお腹が痛くなる。
怒りすぎたら血圧が上がる。
落ち込みすぎたら鬱になる。
悲しみすぎたら・・・運が落ちる・・。

ざっとあげただけでもイメージは湧くでしょう?肉体がダメージを受けたり、運がダメージを受けたり。。その人に関わる何かいずれかに支障を来す。

けれどそれって肉体だけなの?運だけなの?肉体や運にダメージを来すのなら?心とからだは一心同体なのだから。霊魂、霊体だってダメージを受けるのは当たり前の話です。時には本人以外にもそれは届くでしょう。

人は色んな感情を発するけれど、一つの感情を長く発することには弊害があります。
それが続くと、何かがおかしくなってくる。病気を呼びよせることもあるし、時には周囲を巻き込んで不幸の原因・起点となることもあります。

感情の種類はたくさんあるから・・・

私は化粧品鑑定や相性の良い物品、人、行動、他様々な選択を鑑定でお調べしますから、対人面においての感情についてもどういうアプローチが良いかをアドバイスすることがあります。

感情というのは怒りや悲しみ、喜び、驚きなどたくさんあります。ですから、そういうたくさんの種類を定点チェックするだけでもどのようなタイプの人なのかは傾向としてつかめます。いつも怒ってる人だなあ。今喜んでいるのだな。おや?なんだか心配事があるのか・・。などなど。

そんな時にいつも特定の感情を発し続けている人というのは人として幅がないとも言えるし達観しているのかもとも言えるのですが、問題なのは憎しみを常に発し続けている人です。一般的にはそれが一見わからないかもしれません。表情に出していなかったり、行動をセーブしている人ならば外観からはわからないでしょう?

けれど私の霊視&フリハ調査はそのような事も調査します。霊障が絡んでくる場合はまあ普通にあるパターンです。感情絡みのもので拗れている場合は放っておいても引っ越しても原因をわからずお祓いしても意味がないことがありますから。

感情を発しまくる生き物、ヒト。

人は喜怒哀楽を発する仕組みを基本的に持っていますので、色々な日常生活においてそのような感情・思念を発しています。

それは普通一般にはそれとして見えることはないでしょうから、人であればその仕草や表情、行動によって推し量る事ができます。

わかりますね?

観劇を見て笑ったり感動したり泣いたり。

不幸があれば悲しんだり落ち込んだり

恩を仇で返されたら怒ったり肉親だり

そういうことを生きている間はずっと繰り返し繰り返しして生きています。

けれどその感情が問題になって様々な因縁や因果、苦しみやその輪廻に陥っているケースを散見します。

それは鑑定においてだけでなく、一般的にもそれは普遍のテーマになっているのではないでしょうか。

そういう仕組みがわかってしまうと、色々とわからなかったことがパズルを組み合わせるようにわかって来る事があります。

当所の鑑定はまずは霊視とフリハで行いますが、やはり深いものになればなるほどそのような問題が起点となっている場合があります。このyakonではちょっぴりdeepにその分野のお話をしていきたいな・・・と思っています。